マリココログ

猜疑心と信頼の間で生きてます。申し訳ございませんが、あなたの為になる記事は恐らくありません。心のこと、音楽、ファッション、アート、旅、アニメ、映画、本、記録&アウトプット雑記ブログ

夏の日の2022~自分を取り戻す~

前回の記事で

この夏は自分の内面の変化を感じた期間だったこと、

ミシンで何かを作るのが好きだったことを思い出した。

ということを書きました。

 

 

violetblue.hatenablog.com

 

今回はそれの続き。でも内容は別です。

 

前回の内容とは別で、自分の中でとても大切なことだったと思い出したことのひとつに

「音楽」があります。


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音楽と私の関係が、すごく希薄になっていたなというか雑になってたな。ってすごく思ったんです。

 

私のことを知ってくれている人からしたら「音楽好き」のイメージを持ってくれてる人が多いと思うし、自分でもそうだと思うし、日々音楽には触れているけど、なんかこう

「どっぷり浸かるのはやめよう」みたいな感じがずっとあって。

 

こう思っちゃうようになったの何でかな??ってのを前回と同様ぶわーっと書き出して、自分なりに整理しようと思う。

 

 

●単に興味のあることが増えた。

生き方とか在り方、考え方とか、この世の真理とか、仏教とか、そういうものに興味の範囲が広がっていったので、音楽の探求をあまりしなくなった。

 

●共通の音楽の趣味の人が減った&いない

 

人間関係がごっそり変わって、好きな音楽が近い人が身近にいない。

ここ数年は哲学的なことや、スピリチュアル、精神世界、などのキーワードをきっかけに人と知り合う事が多かったので、わたしの好きな音楽の話はますます話題に相応しくない。

 

なんちゃらヘルツみたいなヒーリングミュージックとかの話題だとまた違うんだろうけど、なんせぼかぁロック小僧なんで😂

(ヒーリングミュージックも聴きます)

 

自分の世界を広げたい、自分の世界から出て新しいフィールドの人と関わっていきたいという想いがあったし、音楽やらファッションやらって世界だけにいたくないってのは今も思うので、人間関係が変わったことに関しては後悔のような感情はないのだけれど、好きなこと、自分にとって大切なことを疎かにしていたのはやっぱり問題があった。

 

身近な人で音楽のこと話せる人がいないのは、正直寂しいし虚しいなーって思うけど、だからって何故自分の「好き」を抑えていたんだろう。

何の利益にもならないっていう気持ちもかなりあったな。

利益ってお金の事だけではなく。

 

私はプレイヤーではないので、私が好きな音楽の話題きっかけに何かが広がり始まることはないだろうし、誰も興味がないだろうし、相手にとって有益な情報ではないだろうと。

 

●交流とインスタントな情報を仕入れる事、出すことに追われていた

これはまた別の機会に改めて書けたら書きたいけど、端的にいうとSNSですね。

人生の貴重な時間をかなり捧げてしまっている自覚が恥ずかしながらあります。

なので音楽もながら聞きになることがほんとに多くなった。

 

※最近は人間関係が変わって減ったけど、LINEとかメッセンジャーは関係が深い人とじっくり対話するようなやり取りをするのが好きなので、それに関しては有益な時間の使い方ではなかったかもしれないけど、決して無駄ではなかったと断言できる。

ただの愚痴やおしゃべりもあったけどね。

(↑ここの言葉は、親愛なる友人に捧ぐ)

 

●いつも何かに追われている&疲れっぽい

一人暮らしで、フルタイムで仕事して、家のこともしないといけないけど家事は苦手で、、、

現状や苦手なことをどうにかせねばという焦りがいつもいつもあって、ゆっくり1時間くらいあるアルバムをじっくり聴いてる場合ではない。

と、思いつつその1時間を何かに充てているわけでもない。笑

 

 

●音楽を真剣に聴くにもエネルギーがいる

前回の記事にも書いたけど、「好きな事」=「ルンルンでできる趣味」ではないのです。音楽もそう。

確かに聴くだけで元気が出る、ルンルンになる音楽もある。

じゃあそれ聴いときゃいいじゃんって話だけど、そういうワケにはいかないのです。

 

私の中で音楽を聴く行為は「楽しい」を味わう為だけではないから。

 

自分で言うけど、「音楽を聴く耳」は多分かなりいい方なのと、感受性が強いのとの合わせ技で世界に入りすぎて、受け取るものが多すぎて通常に戻るのに一苦労することもしばしば。

 

毎回この熱量で聴くわけじゃないけど、真剣に聴くのはやはりエネルギーがいる。

 

 

趣味を聞かれたり、履歴書の趣味の欄書いたりするときに

『音楽鑑賞』って書くのいつも違和感あったんですよね。

 

これが何でかやっとわかった。

 

『趣味』じゃないんだなって。

趣味を超えた存在なんだなって。

(趣味というカテゴリーのものは浅いとかそういう話ではなくて)

 

急にめっちゃ重い話になるけど、私

「生まれてきたくなかったな」ってのがずーーーーっと根底にあって。

 

でも音楽を聴いてるとき、いい音楽に出会えたとき

「死にたくない!!」って強烈に感じるんです。

 

「生まれてきてよかった」「生きててよかった」ではなく

 

「死にたくない」って。

 

こんな素晴らしい音楽が聴けなくなるのは嫌だ!!って。

まだまだ何回も聴きたいし、知らない音楽にも出会いたい!!って。

 

(ライブでは気持ちよすぎてこのまま逝ってもーていーかって思うけど。笑)

 

自殺願望はないけど、生まれてきたことを心底喜べてないわたしにとって、音楽は「生」を感じさせてくれるものなんだなーって、

繋いでくれてるものなんだなってのを最近気づきました。

(誰だって人生が苦しいのは存じております)

 

わたしはとことんリスナーで、プレイヤーとして音楽に関わることはないので表現側ではないけれど、「音楽を聴く事」はわたしにとっては「生きる事」に通ずるような大切な事だったのに、

それを

「今関わってる人とは共通の話題じゃないから」

とか

「いつも何かに追われてるから」←何もしないくせに(笑)

とか

「有益な時間ではない。利益にならない」

とかで追いやるのは

「自分を生きる」「自分らしく生きる」とは真逆の行為だった。

 

他者との繋がりの前に、自分自身と繋がってなかったなー。

 

心(魂?)が求めてないことに時間を使うことを見直して、音楽と向き合う時間を取って、自分を取り戻して行きたいなってことを思っております。

 

何かを手放して習慣を改めるのが一番難しいし、新たな決意ほど無駄なものはないんですけどね😱笑