マリココログ

猜疑心と信頼の間で生きてます。申し訳ございませんが、あなたの為になる記事は恐らくありません。心のこと、音楽、ファッション、アート、旅、アニメ、映画、本、記録&アウトプット雑記ブログ

社交的なようで実は人間関係を築くのが苦手な理由を自己分析

 

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「人間関係を築くのが苦手な人」と聞いて、パッと思い浮かぶのはどんな人でしょう。


おとなしくて無口でコミュ障で…

 

一般的にはこういったタイプの人が挙げられるんじゃないでしょうか。

 

おしゃべりだけど一方的で我が強くて視野が狭い人。なんかを挙げる人もいるかもしれないけど。(これは周りが避けることで関係が築けないパターン)

 

私はおそらく周りの人から、おとなしいかどうかはさておき、無口でコミュ障というイメージは持たれていないと思う。

 

スイッチさえ入れれば会話のキャッチボールはそつなく出来る方だし、なんだったら自分で言うのもおこがましいけれども、ちょっとひねりを利かせた返しをして話題を広げることなんかも得意な方ではある。

 

きっと、私のこの能力を羨ましがる人もいるのかもしれない。

 

●話題が豊富
●引き出しが多い
●頭の回転が速い

…などなど

 

これらは外面スイッチ(仕事中や、社交的を求められていると判断した時に入れる)がONの時に良く言っていただける言葉。

ありがたいですね~🙏


でも実は私は人と関係を構築していくのがとってもとっても苦手であります。

 

相手を知り、自分の事も知ってもらう。

 

文章にしたらこんなにシンプルな事がとにかく難しい。

 

その理由を自分なりに自己分析して整理しようと思う。

 

超絶長くなりそうなので記事を分けます。

 

由その1

そもそもの気質が内向的&根暗

 

いやもう、実はこれにすべて集結されるんじゃないか。

という感じだけれど、内向的な人であっても他人を信頼したくさんの人と関係を構築している人を何人も知っている。ので、最大の要因ではあるだろうけれどこれだけが理由ではないと思っている。

 

内向的っていうと、これまた無口とか物静かだとかコミュ障だとかってイメージをする人が多いと思うけどそれは違う。

 

性格を形成する要素のひとつではあるだろうけど、決して性格とイコールで結びつかない。

明るい性格だけど内向的な人もいれば、物静かだけど外向的な人もいる。

 

「内向的」は辞書には

心のはたらきが自分の内部に向かうこと

とある。外向的はその逆。

 

明確な違いで言うとエネルギーの充電の仕方。

 

内側に求めるのが内向型、外側に求めるのが外向型。

 

もっと噛み砕くと、一人でいることでエネルギーを補充するのが内向型

人と関わることでエネルギーを充電するのが外向型

 

 

つまり内向型は大勢の人とたくさんコミュニケーションを取るのが苦手であり、そもそもあまりそこに興味が無い。

 

 

 

上記のイラスト解説がとても分かりやすい。

 

人と会う予定が続いた時なんかは気持ちがザワザワ&ハラハラしっぱなしです。

 

ちなみに根暗について

 

根暗ってのは、読んで字のごとく「根っこ」が「暗い」って事。

 

明らか陰キャとか暗いって感じじゃない人でも、実は「根が暗い」「内向型」なんてことはザラにあるはず。

 

 

でも私は人に「私根暗ですよ」って言っても信じてくれる人まぁいない。

 

その理由は、表面上はとても社交的だからだと思う。

 

接客業だし、他愛もない世間話もするし、噂話はストレスだけどできるっちゃできるちゃうし。そもそも人間が嫌いなわけでもないし。

 

人と会うと疲れっぱなしというわけでも決して無く、それによってエネルギーを充電する場合もある。

 

【内向的or外向的】【根暗or根明】

 

これらをどっちかにしか当てはまらないというゼロヒャク思考はナンセンスだと私は思っていて、人それぞれ割合が違うと考えている。

 

私は内向的の割合の方が、外向的要素より多い【社交的内向型】ではないかと。

 

でもやはり内向的の割合が多いことが「人間関係を築く」事が苦手な要因のひとつではあると思う。

 

新しく人と知り合っても長期的な【ただの知り合い】ではない交友関係を築く事なんて本当に稀。

 

この『知り合い』と『友人』にしっかり明確な線引きをしたいのも内向人間の特徴だそう。

 

めちゃくちゃagreeである。

 

「こないだ知り合って友達になった子がさ~」なんてフレーズ意味不明すぎてちょっとゾッとするし、

 

♪一度会ったら友達で毎日会ったらきょうだいさ♪ どれみふぁドーナツの歌も

 

子供のころから「とんでもない歌やなおぃ」って感じてたし。笑

 

さらに言うとfacebookの『友達』っていう表現も個人的には好きじゃない。

 

こうやって書くほど 内向的とか外向的とかの前にこの「悲観的」なひねた考えが何よりの原因だろってなってくる。笑

 

 

 

 

理由その2

自己開示が苦手

これも内向的とリンクする要素ではあるけれどとにかく苦手です。苦手というか「心を開く人」を選びに選びまくっている。

 

自己開示とは自分をさらけ出すこと。

 

さらけ出すってそもそも何なのか?!

 

綴りながら思考を整理していきたい。

 

書きながら大多数の人が「関わる全ての人に何もかもさらけ出す」ことはしないだろうって考えが浮かんだけれども、「さらけ出す」事と「自分の事を何もかも赤裸々に話す」事はイコールなのか。。。

 

辞書には さらけ出すは

隠すところなくすっかり現す

とある。

 

これだけ見ると 暴露話、ぶっちゃけ話なんかも自己開示に含まれる感じかな?

 

確かに、有能そうな人が失敗談や恥をかいた過去の話をしてくれた時なんかは「へー。そんな一面あるんだなぁ」ってなったりするし。

(セミナー講師だったりすると、そういう話術ね。はいはい。ってなるけど。ひねてるぅ。笑)

 

個人的な解釈だけど、「ぶっちゃける」どうこうの前に「自分を飾らない事」「本音で話すこと」「相手を信頼して心を開く事」が大前提なのではないだろうか。。。

 

と、おもうとやっぱり苦手~~~~~

 

最近は少しずつ実践していってるつもりではあるけど、どんなシチュエーションでもOKかといわれたらそうではない。相手を選んでしまう傾向にある。

 

さらには自己開示が苦手なことと関係があるのかは分からないけれど、初対面より2度目3度目とかの方がストレスに感じることも多い。

 

人見知りも幼少期からあるけれど、「人見知り」といのうは初対面の人に尻込みをしてしまうことで、これはかなり克服できている。

 

私にとっては初回よりも2回目3回目が問題なのである。

 

初回に設定したキャラクターのまま、またその人に会うのがしんどくなるというか。

 

 

別に2回目に「前回と雰囲気違うね」と思われたり言われたりしたところで「こういう一面もあるんです」と言えばいいだけの話なのに。

 

異性からのお誘いの時なんかモロにこの傾向が出る。

 

初回の「明るくって会話が弾む私」を求められてるんだと思うと、期待しないでくれっていうプレッシャーと、相手に対してもどうしようもない嫌悪感が湧いてくるので、好意を持ってくださった方と継続的に会うなんてことはマジでほとんどありません。

 

書けば書くほどしょーもない思い込みに囚われてるなと気付く。

 

自分も相手もひっくるめて宇宙を信頼するという事の感覚を掴みかけたような感じはしたけどまだまだバイアスかかりまくりだなー。

インストールはせずにフォルダに「知識として保存した」ってだけかも。デスクトップにはあるんけど。的な。

デスクトップすぐ散らかるし😂

理由3、4はまた書けるタイミングに書きます。

 

テーマと関係ないけど休憩挟みながらだけどこんだけの文章書くのに5時間かかった。

 

一日一記事の人とか超人だな。目指したいけど。衣食住すべてを放棄しないと今の私にはまだ無理な技だけど、綴るのは楽しいので工夫しながらチャレンジしていきたい。