violetbluexxx’s blog

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「伝え方が9割」残りの1割は何なのか。武田砂鉄さんの新著「わかりやすさの罪」感想。


ダメだーー!!!武田砂鉄さん!!!!!!!好き!!!!!!

 

新著「わかりやすさの罪」の、第1章から砂鉄節が飛び交う飛び交う。

 

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪

 

 

 

企画書は1枚で、とか、伝え方が9割、とか、シンプルで明確であればあるほど、優良だと即断されるようになった。情報を受け取る人たちに余計な負荷をかけてはならないという営業マインドが、そこに存在していたはずの豊穣な選択肢を奪ってしまった。



「伝え方が9割」などと言われる今、残りの1割を活用しながら、すぐには伝えず、いつだって遠回りしながら考えていきたいと思う。


あぁ~!!共感せずにいられない!!と、共に気をつけようと思う事もいろいろ。

 

 

100万部を超えるベストセラー「伝え方が9割」

 

伝え方が9割 2

伝え方が9割 2

  • 作者:佐々木 圭一
  • 発売日: 2015/04/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 


私はこの本のタイトルのこのフレーズを 読んでもいないくせに、長年何かと皮肉を込めて会話の際に「伝え方が9割やで。(ぷぷぷ笑)」みたいな使い方をし続けてきた。

読んだ事無いのに弄るなんて、失礼だという思いはあったものの、どうも手に取る気にはなれなくて。

 


でも先月、「伝えるってなんだろう?!」という思いがいつも以上に湧き上がったタイミングで貸していただいたので、遂に読んでみた!


が、参考になる部分はもちろんあったのに、どうにも全体的な雰囲気から、「伝え方が9割だってよ。(ぷぷぷ笑)」感は払拭できなかったので、これからも弄って使うんだろうと思っていたとこ。

 

武田砂鉄さんがそれはそれは見事に皮肉材料として使っている。

 

なんてすごいんだ!!

 

どこまでも偏屈(素直)で面倒くさそうな砂鉄さん!!好きです!!

 

私はアパレルの接客販売業なんで、お客様が「この店員何言いたいか分かんない」ってならないように、それこそ「伝え方が9割」を仕事中は常に意識しまくっている。


「よかったら試着できますので」って言うより(試着出来んの当たり前やし)
「1度試着してみませんか?☺️」の方が、「はいorいいえ」の返答から会話が続くし、試着率も上がり、お買い上げ率は上がる。

 

いかにスムーズに自然に相手にストレスをかけずに、「商品を試してもらう」という流れにできるか。

 

そのための言葉選び。

 

ここは本当に「伝え方が9割」だと思って工夫するようにしてる。

 

※この言い回しがお客様目線なのか、販売側目線なのかって事はいったん横に置いといてください。

 

でもこれは主に社会的な立場の自分の能力、パフォーマンス向上の為に身につけていったもの。

 

そもそも「伝え方が9割」は、ビジネスシーンでのキャリアアップの為の参考書って感じなんで、この記事の意見はまったく筋違いなのは分かっている。が、

それを踏まえた上で言うけれど、

 

社会的な立場や役割、そんなものを取っ払ったときの、何者でもないその人自身に潜む、「何て言ったらいいかわからない」「上手く伝えられない」【残りの1割】の中に、その人の“ らしさ ” “ 本当の気持ち ” “ パーソナリティ ”が現れたりする場合もあるんじゃなかろうか。

 

先日見た映画、プリズンサークルの、受刑者たちはまさにそんな感じだったなー。

慎重に言葉を選びながら、そして何度も詰まらせながら、自分の体験、後悔、蓋をし続けた想いを吐き出していた。

 

prison-circle.com


人が一生懸命自分の胸の内を慎重に慎重に言葉を選びながら打ち明けている時に、

「うん、もうちょっとまとめてから再度発表してくれるかな?」とか

「結論を先にお願いします。経緯は後ほど聞きます」

なんて、無粋にも程があるでしょ。

 

「伝え方が9割」

じゃあ「残りの1割は何?」はこの本では明らかになっていない。(そもそもテーマが違うから明らかにする必要はない。笑)

この【残りの1割】=うまく伝えられない、話を組み立てられない本音
の存在を私は忘れたくないって思う。

 

そしてこの1割を思う存分出してもらうには 「上手く話せなくても、話終わるまで待ってくれる人がいる。聞こうとしてくれる人がいる」っていう環境、つまり安心感が大事なんじゃないかなって思う。

 

「伝え方が9割」 が処世術の模範になり、正義になりすぎるのはとても危険な気がする。


私はついついテンポよく会話を進めて行こうとする癖(へき)があるし、「仕事モード」の時や、脈絡無さすぎ女同士のおしゃべりの時に「結論を先に言ってくれ」ってなる時あるので、この記事は自分自身に言い聞かせる為に綴っています。
(女の話は脈絡無いとか、どの口が言うてるんだ。笑)

 

でも何か伝えたい事があるなら、「どうすればより伝わるか」って考える事を疎かにしてはいけないともやはり思う。

 

シチュエーションによって切り替えられるのが1番いいのかな。

 

やっぱり1つの考えや手法に傾倒しすぎないバランス感は大事にしていきたい。

 

「伝え方が9割(ぷぷぷ。笑)」を磨くこと、伝える工夫をすることと同時に、目の前の人の「1割の部分」をぞんざいに扱わないこと。

心に留めておこうと思います。
コンディションに左右されてできない時もあるだろうけど。

 

また話逸れるけど、砂鉄さんの本の中に

自分が思うにら文章とはまず、教示ではなく提示である。
論理的説明と自己主張は緊密であることがベターではあるけれど、絶対ではない。
よく意味がわからないけれど主張をしている、であるとか、論理的だけど何の主張をも感じられない、も大いにありえる。

という一文があって、ものすごく胸が抉られた。

 

最近とある人物の文章に対して、「なんか、それっぽいこと(意識高い系のような?)長々と書いてんのにまったく何言いたいのか分からんし、なんだったら混乱するわ。笑」と評価を下していたから。(しかも本人に直接は伝えてない。)

 

「なんか伝えたい事があるなら、創意工夫をしやがれ」と、やたらと憤りを感じていたけど、砂鉄さんの文章を読み、
「私に分からせてくれよ」はおこがましいなと反省。

よく意味が分からなくても、何か主張したい事があるんだろう。

 

なんだったらこのブログだってそう。

 

書いてる本人も、どこが着地点になるのかわかっていない。

「武田砂鉄さんが好き」ってことを書こうと思っただけなのに。何故こんなに長く。笑

 

このブログはまさに、私の【残りの1割】の部分だと思ってくださると幸いです。

 

#ご清聴ありがとうございました